それにしても『新釈現代文』の中の問題を自分でやつて行くと、なかなか正解しないことは驚くほどである。現代文ぐらゐ読めるやうになつてゐるはずなのだが、まちがつてばかりゐる。
しかしながら、丸谷才一が自分の文章を使つた入試問題で一向に正解が出せないとどこかで書いてゐたから、我々ごときが解けなくてがつかりすることはないやうである。逆に言へば、入試問題といふのはかなりテクニカルなものなのだといふことでもある。
しかし、だからといつて、そんなテクニカルなものばかりを身につけさせる受験勉強はむなしいとか、そんなことを小学生からやらせる塾の存在をけしからんと言ふのはどうだらうか。
実は塾の勉強はそんなテクニカルなことばかりではなく、もつと高度で本質的なことを教へてゐるのだ。それはこの『新釈現代文』や伊藤和夫の英語の授業の教へることがテクニカルなものでないのと同じである。
要するに受験勉強とはかくも高度で難解なものなのである。そして、それを経験することが子供たちの知識と思考力を決定的に高めることにつながるのである。その割に日本のノーベル賞受賞者が少ないと言つてはいけない。受験によつて身につく思考力はそのスタートラインに立つ程度の力でしかないからである。
(もつとも私はこの本の正解はかなり間違つてゐると密かに思つてゐる)
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